Japanese Edition
Literature
源氏物語
Japanese BooksWhale Edition by Murasaki Shikibu
恋、宮廷、記憶、季節の移ろいを精緻に描く世界文学の長編古典。
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源氏物語
『源氏物語』は光源氏と周囲の人々の関係を通じて、恋愛、権力、喪失、美意識、時間の流れを描きます。宮廷生活の細部と人物の心理が繊細に重なり、長編小説の源流として読まれる作品です。
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紫式部は平安時代の作者であり、『源氏物語』は11世紀初頭に成立した古典作品です。これらの年代は、この日本語原文版のパブリックドメイン根拠を支持します。
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源氏物語
紫式部
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いづれのおほん時にか、女御更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやんごとなききはにはあらぬが優れて時めきたまふ有りけり。始より我はと思ひあがりたまへるおほん方々、めざましきものにおとしめ猜みたまふ。同じ程、其より下﨟󠄀の更衣たちはまして安からず。朝夕の宮仕につけても人の心を動かし怨を負ふつもりにやありけむ、いとあつしくなりゆき物心ぼそげに里がちなるを、いよいよ飽かず哀なるものに覺ほして人の謗をも得憚らせたまはず世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。上達部うへ人などもあいなく目をそばめつゝ、いとまばゆき人の御おぼえなり。もろこしにもかゝる事のおこりにこそ世も亂れ惡しかりけれと、やうやう天の下にもあぢきなう人のもてなやみぐさになりて楊貴妃のためしも引き出でつべうなり行くにいとはしたなきこと多かれど、辱き御心ばへの類なきを賴にて交らひたまふ。父の大納言はなくなりて、母北の方なむいにしへの人の由あるにて、親うち具しさしあたりて世のおぼえ華やかなるおほん方々にも劣らず何事の儀式をももてなしたまひけれど、とりたてゝはかばかしき御後見しなければ事とある時は猶より所なく心細げなり。さきの世にもおほん契や深かりけむ、世になく淸らなる玉のをのこ皇子さへ生れた まひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ參らせて御覽ずるに珍らかなるちごのおほんかたちなり。一のみこは右大臣の女御のおほん腹にてよせ重く疑なきまうけの君と世にもてかしづき聞ゆれどこのおほん匂ひには並び給ふべくもあらざりければ大方のやんごとなき御おもひにてこの君をば私物におぼほしかしづきたまふこと限なし。始よりおしなべての上宮仕したまふべききはにはあらざりき。おぼえやんごとなくしやうずめかしけれどわりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊の折々何事にも故ある事の節々にはまづ參う上らせたまふ。ある時には大殿籠りすぐしてやがてさぶらせたまふなど、あながちにおまへ去らずもてなさせたまひし程に、おのづから輕き方にも見えしを、この皇子生れたまひて後はいと心殊に思ほしおきてたれば、坊にも善うせずはこの皇子の居たまふべきなめりと、一のみこの女御は覺し疑へり。人より先に參りたまひてやんごとなき御思ひなべて思ひ聞えさせたまひける。畏き御蔭をば賴み聞えながら、おとしめ疵を求め給ふ人は多く我が身はかよわく、ものはかなき有樣にてなかなかなる物思をぞしたまふ。御局は桐壷なり。數多のおほん方々を過ぎさせたまひつゝ隙なき御まへわたりに人の御心を盡したまふも、實にことわりと見えたり。參う上りたまふにも、あまり打ち頻る折々は內階、渡殿、此處彼處の道に怪しきわざをしつゝ、御送り迎への人のきぬの裾堪へ難うまさなきことどもあり。又ある時はえさらぬめだうの戶をさしこめ此方彼方心を合せてはしたなめ煩はせ給ふ時も多 かり。事にふれて數知らず苦しきことのみ增ればいと痛う思ひわびたるをいとゞ哀と御覽じて、後凉殿にもとよりさぶらひ給ふ更衣の曹子をほかに移させたまひて、うへ局にたまはす。その怨ましてやらむ方なし。このみこ三つになりたまふ年おほん袴着のこと一の宮の奉りしに劣らず、くらづかさをさめ殿の物を盡していみじうせさせ給ふ。それにつけても世のそしりのみ多かれど、このみこのおよすげもて坐する御かたち、心ばへありがたく珍しきまで見え給ふを得猜みあへたまはず。ものゝ心知りたまふ人は、かゝる人も世に出でおはするものなりけりと淺ましきまで目を驚かしたまふ。その年の夏みやすどころはかなき心地に煩ひて、まかでなむとしたまふを、暇更に許させたまはず。年ごろ常のあつしさになりたまへれば御目馴れて「猶暫し試みよ」とのみのたまはするに日々に重り給ひてたゞ五六日の程にいと弱うなれば母君なくなく奏してまかでさせ奉りたまふ。かゝる折にも、あるまじき耻もこそと心づかひして、みこをば留め奉りて忍びてぞ出で給ふ。限あれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覽じだに送らぬおぼつかなさをいふ方なく悲しと覺さる。いと匂ひやかに美くしげなる人の痛う面瘦せていと哀とものを思ひしみながらことに出でゝも聞えやらずあるかなきかに消え入りつゝものしたまふを御覽ずるに、きし方行く末おぼしめされず萬の事をなくなく契りのたまはすれど、おほんいらへもえ聞えたまはずまみなどもいとたゆげにていとゞなよなよと我かの氣色にて臥したれば、いかさまにかとおぼしめし惑はる。てぐるまの宣旨などのたまはせても又入らせ給ひては更にゆるさせたまはず、「限あらむ道に も後れ先だゝじと契らせたまひけるを、さりとも打ち捨てゝはえ行きやらじ」とのたまはするを、女もいといみじと見奉りて、
「かぎりとて別るゝ道の悲しきにいかまほしきは命なりけり。いと斯思う給へましかば」と息も絕えつゝ聞えまほしげなることはありげなれどいと苦しげにたゆげなれば、かくながらともかくもならむを御覽じはてむとおぼしめすに、今日始むべきいのりどもさるべき人々うけ給はれる「今宵より」と聞え急がせば、わりなくおもほしながらまかでさせたまひつ。御胸のみつとふたがりてつゆまどろまれず明しかねさせたまふ。御使の行きかふ程もなきに猶いぶせさを限なくのたまはせつるを「夜中うち過ぐる程になむ絕え果て給ひぬる」とて泣き騷げば、御使もいとあへなくて歸り參りぬ。聞しめすおほん心惑ひ、何事も覺しめしわかれず籠り坐します。みこはかくてもいと御覽ぜまほしけれど、かゝる程にさぶらひたまふれいなき事なれば、まかで給ひなむとす。何事のあらむとも思ほしたらず、さぶらふ人々の泣き惑ひうへもおほん淚の隙なく流れおはしますを怪しと見奉りたまへるを、よろしきことだにかゝる別の悲しからぬはなきわざなるを、まして哀にいふがひなし。限あればれいの作法にをさめ奉るを母北の方「同じけぶりにものぼりなむ」と泣きこがれたまひて御送の女房の車に慕ひ乘り給ひて愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに坐しつきたる心地いかばかりかはありけむ。「空しき御からをみるみる尙おはするものと思ふがいとかひなけれは、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人とひたぶるに思ひなりなむ」とさかしうの たまひつれど、車より落ちぬべう惑ひたまへば、「さは思ひつかし」と人々もて煩ひ聞ゆ。內より御使あり、三位の位贈りたまふよし勅使來てその宣命讀むなむ悲しき事なりける。女御とだにいはせずなりぬるが飽かず口惜しうおぼさるれば今ひときざみの位をだにと贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人々多かり。もの思ひ知りたまふは、さまかたちなどのめでたかりしこと心ばせのなだらかにめやすく憎み難かりしことなど今ぞおぼし出づる。さま惡しきおほんもてなし故こそすげなう猜みたまひしか、人がらの哀になさけありし御心をうへの女房なども戀ひ忍びあへり。なくてぞとは、かゝる折にやと見えたり。はかなく日頃過ぎて後のわざなどにも細かにとぶらはせたまふ。程經るまゝにせむ方なう悲しう覺さるゝにおほん方々の御とのゐなども絕えてしたまはずたゞ淚にひぢて明し暮させたまへば、見奉る人さへ露けき秋なり。「なきあとまで人の胸あくまじかりける人の御覺えかな」とぞ弘徽殿などには尙ゆるしなうのたまひける。一の宮を見奉らせたまふにも若宮のおほん戀しさのみおもほし出でつゝ、親しき女房御めのとなどを遣しつゝ有樣を聞しめす。
野分だちて俄にはだ寒き夕暮の程、常よりも覺し出づる事多くてゆげひの命婦といふを遣す。夕づく夜のをかしき程に出し立てさせたまうて、やがて詠めおはします。かうやうの折は御遊などせさせたまひしに、こゝろ異なるものゝ音を搔き鳴らし、はかなく聞え出づる言の葉も人よりは異なりしけはひかたちの、面影につとそひておぼさるゝも、やみのうつゝには尙劣りけり。命婦彼處にまかで着きて門ひき入るゝよりけはひ哀なり。やもめずみなれど、人 一人のおほんかしづきにとかく繕ひ立てゝ、めやすき程にてすぐしたまへるを、闇にくれてふし沈みたまへる程に草も高くなり野分にいとゞ荒れたる心地して月かげばかりぞ八重葎にも障らずさし入りたる。南おもてにおろして、母君もとみにえものものたまはず。「今までとまり侍るがいと憂きを、かゝる御使の蓬生のつゆ分け入りたまふにつけても耻しうなむ」とて實にえ堪ふまじく泣い給ふ。「參りてはいとゞ心苦しう心ぎもゝ盡くるやうになむと內侍のすけの奏し給ひしを、もの思ひたまへ知らぬ心地にも實にこそいと忍び難う侍りけれ」とてやゝためらひて御事傳へ聞ゆ。「暫しは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ靜まるにしもさむべき方なく堪へ難きはいかにすべきわざにかとも問ひ合すべき人だになきを、忍びては參り給ひなむや、若宮のいとおぼつかなく露けき中にすぐしたまふも心苦しう覺さるゝを、疾く參り給へなど、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつゝ、かつは人も心弱く見奉るらむと覺しつゝまぬにしもあらぬ御氣色の心苦しさに、承はりも果てぬやうにてなむまかで侍りぬる」とて御文奉る。「目も見え侍らぬに、かく畏き仰事を光にてなむ」とて見たまふ。「程經ばすこし打ち紛るゝこともやと待ちすぐす月日に添へていと忍び難きはわりなきわざになむ。いはけなき人も如何にと思ひやりつゝ、諸共にはぐゝまぬおぼつかなさを今は猶昔の形見になずらへてものしたまへ」など、こまやかに書かせたまへり。
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光源氏名のみことごとしう言ひ消たれ給ふとがめ多かなるにいとゞかゝるすきごとどもを末の世にも聞き傳へて輕びたる名をや流さむと忍び給ひけるかくろへごとをさへ語り傳へけむ人の物言ひさがなさよ。さるはいと痛く世を憚りまめだち給ひけるほどになよびかにをかしき事はなくて、交野の少將には笑はれ給ひけむかし。まだ中將などにものし給ひし時はうちにのみさぶらひようし給ひておほい殿にはたえだえまかで給ふを、「しのぶのみだれや」と疑ひ聞ゆることもありしかど、さしもあだめき目馴れたるうちつけのすきずきしさなどはこのましからぬ御本性にて、稀にはあながちに引きたがへ心づくしなることを御心におぼしとゞむるくせなむ、あやにくにて、さるまじき御ふるまひもうちまじりける。なが雨晴間なきころ、うちの御物忌さしつゞきていとゞ長居さぶらひ給ふをおほとのにはおぼつ かなく恨めしく覺したれど、萬の御よそひ何くれと珍らしきさまに調じ出で給ひつゝ御むすこの君だち唯この御とのゐ所の宮仕を勤め給ふ。宮腹の中將は中に親しく馴れ聞え給ひて遊たはぶれをも人よりは心やすくなれなれしくふるまひたり。右の大臣のいたはりかしづき給ふすみかはこの君もいとものうくしてすきがましきあだ人なり。里にても我がかたのしつらひまばゆくして君のいでいりし給ふにうちつれ聞え給ひつゝよるひる學問をも遊をも諸共にしてをさをさ立ち後れず、いづくにてもまつはれ聞え給ふほどに、おのづからかしこまりをもおかず、心の中に思ふことをも隱しあへずなむむつれ聞え給ひける。
つれつれと降りくらしてしめやかなる宵の雨に殿上にもをさをさ人ずくなに御とのゐ所も例よりはのどやかなる心地するに、おほとなぶら近くてふみどもなど見給ふついでに近き御厨子なるいろいろの紙なるふみどもをひき出でゝ、中將わりなくゆかしがれば、「さりぬべき少しは見せむ。かたはなるべきもこそ」とゆるし給はねば、「そのうちとけて傍痛しと覺されむこそゆかしけれ。押しなべたる大かたのは數ならねどほどほどにつけてかきかはしつゝも見侍りなむ。おのがじゝうらめしき折々待顏ならむ夕暮などのこそ見所はあらめ」と怨ずれば、やんごとなく切に隱し給ふべきなどは、かやうにおほぞうなる御厨子などにうち置きちらし給ふべくもあらず深くとり隱し給ふべかめればこれは二のまちの心やすきなるべし。かたはしづゝ見るに、「かくさまざまなるものどもこそ侍りけれ」とて、心あてに「それかかれか」など問ふ中に言ひ當つるもあり、もてはなれたる事をも思ひよせて疑ふもをかしと覺 せど、詞ずくなにてとかく紛はしつゝとり隱し給ひつ。「そこにこそ多く集へ給ふらめ。少し見ばや。さてなむこの廚子も心よく開くべき」とのたまへば、「御覽じ所あらむこそ難く侍らめ」など聞え給ふ序に「女のこれはしもと難つくまじきは難くもあるかなと、やうやうなむ見給へ知る。唯うはべばかりのなさけに手走り書き、折節のいらへ心得てうちしなどばかりは隨分によろしきも多かりと見給ふれど、そも誠にその方を取り出でむ選に必漏るまじきはいと難しや。我が心得たる事ばかりをおのかじゝ心をやりて人をばおとしめなど、傍痛き事多かり。親など立ち添ひてもてあがめておひさき籠れる窓の內なる程は唯かたかどを聞き傅へて心を動す事もあめり。かたちをかしくうちおほどき若やかにて紛るゝ事なき程、はかなきすさびをも人まねに心を入るゝ事もあるにおのづから一つゆゑづけてし出づる事もあり。見る人後れたる方をば言ひ隱しさてありぬべき方をば繕ひて、まねび出すにそれしかあらじとそらにいかゞは推し量り思ひくたさむ。誠かと見もて行くに見劣りせぬやうはなくなむあるべき」とうめきたる氣色も耻しげなれば、いとなべてはあらねど我も覺し合することやあらむ、うちほゝゑみて、「そのかたかどもなき人はあらむや」とのたまへば、「いとさばかりならむあたりには誰かはすかされ寄り侍らむ。取る方なく口惜しききはと優なりと覺ゆばかり優れたるとは數等しくこそ侍らめ。人のしな高く生れぬれば、人にもてかしづかれて隱るゝこと多くじねんにそのけはひこよなかるべし。中の品になむ人の心々己がじゝの立てたる趣も見えて分かるべき事かたがた多かるべき。下のきざみといふきはになれば、 殊に耳たゝずかし」とていと隈なげなる氣色なるもゆかしくて、「その品々やいかに。いづれを三つの品におきてか分くべき。もとのしなたかく生れながら身は沈み位短くて人げなき、又直人の上達部などまでなりのぼりたる我はがほにて家の內を飾り人に劣らじと思へる、そのけぢめをばいかゞ別くべき」と問ひ給ふ程に、左の馬のかみ、藤式部の丞御物忌に籠らむとて參れり。世のすきものにて物よく言ひ通れるを、中將待ちとりてこの品々辨へ定め爭ふ。いと聞き憎き事多かり。「なりのぼれとも素よりさるべきすぢならぬは世の人の思へる事も、さはいへど猶異なり。又もとはやんごとなきすぢなれど、世にふるたつぎすくなく時世うつろひておほえ衰へぬれば、心はこゝろとして事足らず、わろびたる事ども出で來るわざなめれば、とりどりにことわりて中の品にぞ置くべき。受領と言ひて人の國の事にかゝづらひいとなみて品定まりたる中にも又きざみきざみありて中の品のけしうはあらぬえり出でつべき頃ほひなり。なまなまの上達部よりも、非參議の四位どもの世のおぼえ口惜しからずもとの根ざし賤しからぬが安らかに身をもてなしふるまひたる、いとかはらかなりや。家の內に足らぬ事などはた無かめるまゝに、省かずまばゆきまでもてかしづけるむすめなどのおとしめ難く生ひ出づるも數多あるべし。宮仕に出で立ちて、思ひかけぬさいはいとり出づる例ども多かりかし」などいへば、「すべて賑はゝしきによるべきななり」とて笑ひ給ふを、「こと人の言はむやうに心得ず仰せらる」とて中將にくむ。「もとのしな時世のおぼえうちあひ、やんごとなきあたりの內々のもてなしけはひ後れたちむは更にもいはず、何をして かく生ひ出でけむといふがひなく覺ゆべし。うちあひて優れたらむもことわり、これこそはさるべき事とおぼえて珍かなる事とも心も驚くまじ。なにがしが及ぶべき程ならねば、かみがかみはうち置き侍りぬ。さて世にありと人に知られずさびしくあばれたらむ葎の門に思の外にらうたげならむ人の閉ぢられたらむこそ限なく珍しくは覺えめ。いかではたかゝりけむと思ふより違へる事なむ、怪しく心とまるわざなべき。父の年老い物むつかしげにふとりすぎ、せうとの顏にくげに思ひやりことなる事なき閨の內に、いといたく思ひあがり、はかなくし出でたる事わざも故なからず見えたらむ、かたかどにてもいかゞ思の外にをかしからざらむ。優れて疵なき方のえらびにこそ及ばざらめ。さるかたにて捨て難き物をば」とて式部を見やれば、「我が妹うとゞものよろしき聞えあるを思ひてのたまふにや」とや心得らむ、ものも言はず。いでやかみの品と思ふだに難げなる世をと君はおぼすべし。白き御ぞどものなよゝかなるに直衣ばかりをしどけなく着なし給ひて紐などもうち捨てゝ添ひ臥し給へる御火影いとゞめでたく、女にて見奉らまほし。この御爲にはかみが上を選り出でゝも猶飽くまじく見え給ふ。さまざまの人のうへどもを語り合せつゝ、「大方の世につけて見るには咎なきも、我が物とうち賴むべきを撰ばむに、多かる中にもえなむ思ひ定むまじかりける。をのこのおほやけに仕う奉りはかばかしき世のかためなるべきも誠のうつはものとなるべきを、取り出さむにはかたかるべしかし。されど畏しとても一人二人世の中をまつりごちしるべきならねば、かみはしもに肋けられ下は上に靡きて事廣きにゆつらふらむ、せばき 家のうちのあるじとすべき人一人を思ひめぐらすに、たらはで惡しかるべき大事どもなむかたがたおほかる。とあればかゝりあふさきるさにてなのめにさてもありぬべき人の少きを、すきずきしき心のすさびにて人の有樣をあまた見合せむの好みならねど、偏に思ひ定むべきよるべとすばかりに、同じくば我がちからいりをし直しひき繕ふべき所なく、心にかなふやうもやと撰りそめつる人の定まり難きなるべし。必ずしも我が思ふにかなはねど、見そめつる契ばかりを捨て難く思ひとまる人は物まめやかなりと見え、さてたもたるゝ女の爲も心にくゝ推し量らるゝなり。されど何か世の有樣を見給へ集むるまゝに、心に及ばずいとゆかしき事もなしや。君たちの上なき御えらびには、ましていかばかりの人かはたぐひ給はむ。所せく思ひ給へぬだにかたちきたなげなく若やかなる程の己がじゝは塵も附かじと身をもてなし、文を書けどおほどかにことえりをし墨つきほのかに心もとなく思はせつゝ、又さやかにも見てしがなとすべなく待たせ、わづかなる聲聞くばかり言ひよれど、息の下にひき入れことずくななるがいとよくもて隱すなりけり。なよびかに女しと見ればあまりなさけにひき籠められて、とりなせばあだめく。これを初の難とすべし。事が中になのめなるまじき人の後見の方は物のあはれ知りすぐし、はかなきついでの情あり、をかしきに進める方なくてもよかるべしと見えたるに、又まめまめしきすぢを立てゝ、耳はさみがちにびさうなき家とうじの偏にうちとけたる後見ばかりをして朝夕のいでいりにつけても公私の人のたゝずまひ善き惡しき事の目にも耳にもとまる有樣を疎き人にわざとうちまねばむやは。 近くて見む人の聞きわき思ひ知るべからむに、語りも合せばやとうちも笑まれ淚もさしぐみ、もしはあやなきおほやけばらだゝしく心ひとつに思ひあまる事などおほかるを、何にかは聞かせむと思へばうち背かれて人知れぬ思ひいで笑もせられ、哀ともうちひとりごたるゝに、何事ぞなどあはつかにさしあふぎ居たらむはいかゞは口惜しからぬ。唯ひたぶるに子めきて柔かならむ人を、とかく引き繕ひてはなどか見ざらむ。心もとなくとも直し所ある心地すべし。實にさし向ひて見む程は、さてもらうたき方に罪免し見るべきを、立ち離れてはさるべき事をも言ひやり折節にし出でむわざのあだごとにもまめごとにも我が心と思ひ得る事なく深きいたりなからむはいと口惜しくたのもしげなき咎や猶苦しからむ。常は少しそばそばしく、心づきなき人の、折節につけていでばえするやうもありかし」など、隈なき物言ひも定めかねていたくうち歎く。「今は唯しなにもよらじ。かたちをば更にもいはじ。いと口惜しくねぢけがましきおぼえだになくば唯偏に物まめやかに靜なる心のおもむきならむよるべをぞ遂のたのみ所には思ひ置くべかりける。あまりの故由心ばへうち添へたらむをばよろこびに思ひ、少し後れたる方あらむをもあながちに求め加へじ。後安くのどけき所だに强くはうはべのなさけはおのづからもてつけべきわざをや。艷に物耻して恨みいふべき事をも見知らぬさまに忍びて、上はつれなく操作りて、心一つに思ひ餘る時は言はむ方なくすごき言の葉哀なる歌を詠み置き、忍ばるべきかたみを留めて深き山里世はなれたる海づらなどにははひ隱れぬかし。童に侍りし時女房などの物語讀みしを聞きて、いと哀に悲しく心 深き事かなと淚をさへなむ落し侍りし。今思ふにはいとかるがるしく事さらびたることなり。志深からむ男をおきて見る目の前につらき事ありとも人の心を見知らぬやうに逃げ隱れて人を惑はし心をも見むとする程に、長き世の物思ひになる、いとあぢきなき事なり。心深しやなど譽めたてられて、あはれ進みぬればやがて尼になりぬかし。思ひ立つ程はいと心澄めるやうにて世にかへりみすべくも思へらず。いであな悲し、かくはたおぼしなりにけるよなどやうにあひ知れる人來訪らひ、ひたすらに憂しとも思ひ離れぬ男聞きつけて淚おとせば、使ふ人古御達など、君の御心は哀なりけるものをあたら御身をなどいふに、みづから額髮をかき探りて、あへなく心ぼそければうちひそみぬかし。忍ぶれど淚こぼれそめぬれば折々ごとにえ念じえず悔しき事も多かめるに、佛もなかなか心ぎたなしと見給ひつべし。獨にしめるほどよりも、なまうかびにてはかへりて惡しき道にも漂ひぬべくぞ覺ゆる。絕えぬ宿世淺からで尼にもなさで尋ねとりたらむも、やがてその思ひいでうらめしきふしあらざらむや。惡しくも善くもあひそひて、とあらむ折もかゝらむきざみをも見過ぐしたらむ中こそ契深くあはれならめ。我も人も後めたき心おかれじやは。又なのめにうつろふ方あらむ人を恨みて氣色ばみ背かむ、はたをこがましかりなむ。心は移ろふ方ありとも見そめし志いとほしく思はゞ、さる方のよすがに思ひてもありぬるべきに、さやうならむたじろきに絕えぬべきわざなり。すべて萬の事なだらかに、怨ずべき事をば見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをもにくからずかすめなさば、それにつきて哀も增りぬべし。多くは我が心も見る人 から治まりもすべし。あまりむげにうちゆるべ見放ちたるも心安くらうたきやうなれどおのづから輕き方にぞ覺え侍るかし。繫がぬ船の浮きたる例も實にあやなし。さは侍らぬか」といへば中將うなづく。「さしあたりてをかしとも哀とも心にいらむ人の、たのもしげなき疑あらむこそ大事なるべけれ。我が心あやまちなくて見すぐさば、さし直してもなどか見ざらむと覺えたれど、それさしもあらじ。ともかくも違ふべきふしあらむを長閑やかに見忍ばむより外にます事あるまじかりけり」といひて、我が妹の姬君はこの定にかなひ給へりとおもへば、君のうちねぶりて詞まぜ給はぬをさうざうしく心やましと思ふ。馬のかみ物さだめの博士になりてひゞらぎ居たり。中將はこのことわり聞きはてむと心に入れてあへしらひ居給へり。「萬の事によそへておぼせ。木の道のたくみの萬の物を心に任せて作り出すも、臨時のもてあそび物のその物と跡も定まらぬはそばつきざれば見たるも質にかうもしつべかりけりと、時につけつゝさまをかへて今めかしきに目うつりてをかしきもあり。大事として、誠に麗はしき人の調度のかざりとする、定まれるやうあるものを難なくし出づる事なむ猶誠の物の上手はさまことに見えわかれ侍る。又繪所に上手多かれど墨がきに選ばれて次々に更に劣り勝るけぢめふとしも見えわかれず。かゝれど人の見及ばぬ蓬萊の山、荒海のいかれるいをのすがた、唐國の烈しき獸のかたち、目に見えぬ鬼の顏などのおどろおどろしく作りたる物は、心に任せて一きは人の目を驚かしてじちには似ざらめどさてありぬべし。よのつねの山のたゝずまひ、水のながれ、目に近き人の家居有樣、實にと見え懷かしくやはら びたるかたなどを靜にかきまぜて、すくよかならぬ山の氣色木深く世離れてたゝみなし、け近き籬の內をば、その心しらひおきてなどをなむ上手はいと勢殊に、わるものは及ばぬ所多かめり。手を書きたるにも深き事はなくて此處彼處の點ながに走りがき、そこはかとなく氣色ばめるはうち見るにかどかどしくけしきだちたれど、猶誠のすぢをこまやかに書き得たるはうはべの筆消えて見ゆれど今一度とり並べて見れば猶じちになんよりける。はかなき事だにかくこそ侍れ。まして人の心の時に當りて氣色ばめらむ、見る目のなさけをばえ賴むまじく思ひ給へ侍る。その始の事、すきずきしくとも申し侍らむ」とて近く居寄れば、君も目さまし給ふ。中將いみじく信じてつら杖をつきて對ひ居給へり。法の師の世のことわり說き聞かせむ所の心地するもかつはをかしけれど、かゝるついではおのおのむつごともえ忍びとゞめずなむありける。「はやうまだいと下臈に侍りし時哀と思ふ人侍りき。聞えさせつるやうにかたちなどいとまほにも侍らざりしかば、若き程のすきごゝちにはこの人をとまりにとも思ひ留め侍らず、よるべとは思ひながらさうざうしくてとかく紛れありき侍りしを、物怨じをなむいたくし侍りしかば、心づきなういとかゝらでおいらかならましかばと思ひつゝ、あまりいとゆるしなく疑ひ待りしもうるさくて、かく數ならぬ身を見も放たでなどかくしも思ふらむと、心苦しき折々も侍りて、じねんに心治めらるゝやうになむ侍りし。この女のあるやう、素より思ひ至らざりける事にもいかでこの人の爲にはとなき手をいだし、後れたるすぢの心をも猶口惜しくは見えじと思ひ勵みつゝ、とにかくにつけて物まめやかに 後み露にても心に違ふ事はなくもがなと思へりし程に、進める方と思ひしかどとかくに靡き來てなよびゆき、見にくきかたちをもこの人に見や疎まれむとわりなく思ひつくろひ、疎き人に見えばおもてぶせにや思はむと憚り耻ぢて、みさをにもてつけて見馴るゝまゝに心もけしうはあらず侍りしかど、唯この憎き方一つなむ心をさめず侍りし。そのかみ思ひ侍りしやう、かうあながちに從ひおぢたる人なめり、いかで懲るばかりのわざしておどしてこの方も少しよろしくもなりさがなさもやめむと思ひて、誠にうしなども思ひて絕えぬべき氣色ならば、かばかり我に隨ふ心ならば思ひ懲りなむと思ひ給へて、殊更になさけなくつれなきさまを見せて、例の腹立ち怨ずるに、かくおぞましくばいみじき契深くとも絕えて又見じ、かぎりと思はゞかくわりなき物疑ひはせよ、行くさき長く見えむと思はゞつらき事ありとも念じてなのめに思ひなりてかゝる心だに失せなば、いと哀となむ思ふべき、人なみなみにもなり少しおとなびむに添へて又並ぶ人なくなむあるべきなど、賢く敎へたつるかなと思ひ給へて、我れたけくいひそし侍るに、少しうち笑ひて、萬にみだてなく物げなき程をみすぐして人數なる世もやと待つ方はいと長閑に思ひなされて心やましくもあらず、つらき心を忍びて思ひなほらむ折を見つけむと年月を重ねむあいなだのみはいと苦しくなむあるべければ、かたみに背きぬべききざみになむあると、妬げにいふ時に腹だゝしくなりて憎げなる事どもを言ひ勵し侍るに、女もえ治めぬすぢにておよびひとつを引き寄せてくひて侍りしを、おどろおどろしくかこちて、かゝる疵さへつきぬればいよいろ交らひをすべきにも あらず、辱しめ給ふめる官位いとゞしく何につけてかは人めかむ、世を背きぬべき身なめりなどいひおどして、さらば今日こそはかぎりなめれとこのおよびを屈めてまかでぬ。
Table of contents
Inside this edition
- 01Full text
- 02桐壷
- 03箒木
- 04空蟬
- 05夕顏
- 06若紫
- 07末摘花
- 08紅葉賀
- 09花宴
- 10葵
- 11賢木
- 12花散里
- 13須磨
- 14明石
- 15澪標
- 16蓬生
- 17關屋
- 18繪合
- 19松風
- 20薄雲
- 21槿
- 22少女
- 23玉鬘
- 24初音
- 25胡蝶
- 26螢
- 27常夏
- 28篝火
- 29野分
- 30行幸
- 31藤袴
- 32眞木柱
- 33梅枝
- 34藤裏葉
- 35若菜上
- 36若菜下
- 37柏木
- 38橫笛
- 39鈴蟲
- 40夕霧
- 41御法
- 42幻
- 43匂宮
- 44紅梅
- 45竹河
- 46橋姬
- 47椎本
- 48總角
- 49早蕨
- 50寄生
- 51東屋
- 52浮舟
- 53蜻蛉
- 54手習
- 55夢浮橋
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